取材日記
イタリア研修日記【2】 ~ビスコッティのある風景~
正直に言うと、15年前は自分がビスコッティの専門店として起業することは全くイメージしていませんでした。
振り返ってみると、どこか「ピンときて」いたのかもしれなくて、だから町のあちこちのビスコッティを片っ端から買っては食べてを繰り返していたのかも。
こういう(町のほとんどのビスコッティを網羅する)掘り下げ方というのは住むことでしかなかなか出来なかったので、今となっては貴重な経験です。
そんな「今」、私の目にビスコッティはどう映るのかなというのは楽しみの一つでもありました。
自分のビスコッティに見慣れたせいもあるのか、「とにかく大きい!」というのが率直な第一印象。食べ応えがあるというか、軽食にもなりそうな、日本でいうと甘食をラスクにしたような、そんなイメージがより鮮明となりました。
これがイタリア人にとってのビスコッティだし、お土産などで購入される日本人にとってのビスコッティでもあります。そう考えると自分のビスコッティは「亜流」ともなりかねません。そこを「なぜこのお菓子が素晴らしいのか、なぜこの大きさ、この形になったのか」を丁寧に伝えていくことはますます重要だなと感じます。
例えば「鮨」を例にとってみます。
江戸後期に鮨は庶民のファストフードとして人気を博しましたが、マグロのトロは「脂のノリが下品」として、猫のエサとして扱われていました。赤身の鉄分の味が粋とされ、季節や保存の関係でヅケが生まれていきます。
戻り鰹より初鰹を好んだのも、出始めの赤身の味を江戸の庶民は好んだのですね。
しかしそこからすごいのが、「この鮨という食べ物は、この大きさでいいのか(当初はおにぎり大だったようです)。一口で、ネタとシャリとのバランスが取れ、握り方はシャリがほぐれるように、キッツケは、、、」と進化・深化していったのです。おそらく当時の鮨と今の鮨を比べて、当時の方が美味しいという人は多くはないだろうと想像します(そう思いませんか?)。
ビスコッティの今の立ち位置は、私から見るとまだ「進化中」だと思います。
特徴的な形に目がいきがちですが、味としてはやはり私は自分のスタイルに自信を持ちました。
まだまだ「革新」を興すには至ってませんが、近い将来の「新しい贈答菓子の選択肢」としてブレイクできるよう頑張ってまいります。
(ビスコッティ考察はまだまだ続きます。今日はこの辺で)
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